会社案内
「日本の圃場維持を支援する」ことを目的としています。
昨今の国策の変貌は、生産者及び消費者の方々にとって大きな転機となっています。
当社は、現在玄米市場の「商品化計画を」中心に博多に本社を、長野に委託工場及び倉庫を設置し、活動しています。
商品化とは、「時のトレンド(流れ)を考えぬくこと」だと思います。
日本各地の優良産地と「時のトレンド」となる管理データーのもと集荷、製造を行い、販売を推進して参ります。
私どもがお客様のお喜びのお声をいただけます様、心から邁進してまいります。
代表取締役 岩谷 克代
― 楽水園 ―
戦国時代、相次ぐ戦乱で廃墟と化した博多の町。豊臣秀吉による町づくりの際、焼け石や焼け瓦など、まさに瓦礫を用いた土塀が築かれた。これが博多塀である。
今日でいうリサイクル用材であるが、そこには博多町衆の復興への熱い思いが表現されていた。
この博多塀を博多左官の高度な技術と幼少時の記憶によって現代に復元したのが、「楽水園」の外塀である。
「一般社団法人日本左官業組合連合会hpより」
― 博多の地 ―
1871年(明治4年)に廃藩置県によって福岡藩は福岡県となる。「市制及び町村制」の公布により博多・福岡に於いて市制を施行しようとする際、市名を「博多市」とするか「福岡市」とするか、博多と福岡の間で大論争が巻き起った。4月1日時点での人口は博多25677人、福岡20410人、東中洲ほか四字1530人であった。明治時代に行政上から消失した博多の地名は、福岡市が政令に昇格した1972年4月1日に博多区としてその名称を復活。